ライフGspot
2009年10月25日。代官山のMANGART BEAMS T。
「マンガ、アニメのTシャツ作品に特化した」というこのBEAMSにて、松本零士先生のトークショー&サイン会が開かれるということで、30Gspotが取材に行ってきました!
うわー、代官山だぁ。
おしゃれスポットだよ…。
大先生って、なんかこっちがちょっと失礼なこと言っちゃって激怒されちゃう、みたいな怖いイメージがあったので、内心びくびく。
ところが、松本先生は違った!
これぞ大先生、と、こちらの勝手な偏見を覆すような温かい眼差しで、いろいろ語ってくださいました。
司会:今日は銀のコーシカTシャツ発売記念会ということで大勢お越しくださいましてありがとうございます。
先生、今日は代官山ということで、ファッショナブルなスポットですが…
松本先生:そうだね。街を歩いてたら色々な格好をした人たちがいて面白かった。
だけどここの店の中に入った途端に、あそこ(店内入って右手側)の本棚に私の同級生たちの作品が並んでいてびっくりしちゃった。
これはみんな10代から知ってる仲間たちですからね、なんだか今日は同窓会みたいな気分になっちゃって。
司会:みなさんまだ成功される前からのお知り合い、ということですね。
松本先生:まだこれから、という15歳前後からの仲間だね。
この先どうなるか分からない、分からないけど夢を追いかけていた頃の同志です。
司会:そうなんですねぇ。
だから先生、最初は代官山だし、なんかファッショナブルで違うよな、っておっしゃってたけど、入口入った途端、赤塚先生の…。
松本先生:「これでいいのだ」が目に入ったね。
司会:では『銀のコーシカ』のストーリーについてお話いただけますか?
松本先生:まあ、簡単に言うと地球の未来、温暖化だとかを避ける方法があるのかとか、地球の歴史、宇宙の歴史、それと、人の心の歴史。
それから動物たち、生き物すべてとの出会いを描いた話です。
コーシカっていうのは一度、10代か20代の初めに「火の森のコーシカ」ってのを一度書いているので、発想自体はとても古いです。
司会:『コーシカ』っていう単語はとても耳に残る名前ですが、この由来はなんなんでしょう?
松本先生:コーシカはロシア語で子猫って意味なんです。
これは昔、日本橋の映画館に行った帰りに、本郷三丁目に住んでたものですから、西銀座の地下鉄の駅まで歩いていたら、途中で、コーシカという小さい?み屋があったんです。
そこへ入ったらロシアのおばさんが2人、カウンターにいたんですね。
当時ロシアはソビエトでしたから、亡命してきた人の一代目か二代目だったんです。
それで日本語も話せる人たちだったので「コーシカってどういう意味?」って聞いたら「子猫よ」と。
その瞬間に考えていたのは「俺の家にも猫がいるな…今の猫…『ナウ』シカ」。
でもナウシカは使い損ねました(笑)。
もう、人に使われたら自分では使えませんからね。
いまだに「シカ」が猫なのか「コー」が猫なのか分かってはないんですけどね。
司会:銀のコーシカはいろんなものに変身して女神になったりするわけですが。
松本先生:うちにも猫がいるんですが、何か要求するとき、何か言いたいときにかじるので、私の手は傷だらけです。
司会:かまってーっていうんですね。
松本先生:そう。でも信頼のおけるかじり方でね。
たまに間違って強く引っ掻くと、こう、反省してね。
猫なりに謝るの。
司会:猫なりに(笑)。
松本先生:そう。三代目の「ミーくん」なんだけどね。
今までのミーくんみんなそうでした。
司会:先生は猫語がわかるんですね(笑)。
司会:主人公のネーミングも不思議なんですが…。
松本先生:ヨウは妖精のヨウです。
これは黒羽温泉に行ったときにね、崖のところから温泉が噴き出してたの。
それには伝説があって、九尾の狐とそしられて殺された女性の怨霊が恨みを持って、ガスを千年間も噴き出していると聞いてね。
ただ噴き出しているのではなくて、いじめられている弱い者、貧しいものを守ろうとしているのね。
それで黒羽をひっくり返して羽黒。
虐げられている物を守る人、それがハグロ。
その場で一瞬で考えたよ。
司会:なんだか素敵ですね。
いつまでも恨むのではなく、妖精と結びついて、守る側に変わるなんて。
松本先生:ちょうどそのときね、鳥羽僧正とか北斎がここでこの絵を描いたんだよ、といくつか教えられてね。
絵とも縁があるんだな、と親しみをこめてそうつけたの。
司会:地球は今いろんな痛みを抱えていますが、自然について何かメッセージがあれば。
松本先生:私はガキの頃から山野で暴れまわる子供でしてね。
存分に自然に触れ合って生きてきたの。
九州、明石、戦中は四国、川で泳ぎ、蛇を撃ち殺し、土壌を取り、メダカを生きたまま丸飲み競争…。
蜂の子取りもやりました。
それもアシナガバチなんて目じゃなくて、スズメバチまで。
司会:スズメバチまで?
松本先生:スズメバチの子は食いでがあるからね。
学校の帰りにスズメバチの巣を襲うの。
襲われるんじゃなく。
巣をほじくり返してひっぱり出したりね。
そうやって自然と触れ合い、戦争が終わったのが7歳のときで、それから九州に戻ったの。
漫画を描き始めたのは四国にいる時だね。
初めての作品が潜水艦『13号』。
6歳だったね。
自分が昭和13年生まれだったから13号ってつけたの。
私にとっては不吉な13日金曜日ってのは一番いい日なんです(笑)。
それから九州の小倉に戻って7歳だか8歳で『火星悪魔』『ドラゴンタイガー』『透明人間』『巨星(ジャイアンスター)』。
そういうものを小倉で描いたんです。
それで朝日新聞社が目の前にあって隣のおじさんが勤めてたから、その中に入り込んで、製版の工程・過程、撮影から輪転機にかかるまで、全部見てたんです。
そうしてたら、ほれこれをやろう、と仁駒盤をくれた人がいるんです。
あとから人に聞いたらそれが松本清張さん。誰に聞いてもそう言うの。
顔はうろ覚えなんだけど、当時は小倉の同じ町内にいらっしゃったみたいなので、自分でもそう信じてます。
家から5分歩けば海岸でね。
崖から海に飛び込む遊びをやってたの。
最初は怖かったけど、同級生がさっさと飛び込んで「飛び込め松本!それでも男か!」って下から叫ぶんだよ。
そう言われたら黙っちゃいられないってことで、飛び込んだら川よりも体が浮かぶし、簡単だってことで平気になったの。
で、何が楽しみって泳ぐこともそうなんだけど、海に潜って獲物を取るのが楽しくてね。
戦後ですから潜ると水没船があって、中が漁礁になってるのでそこまで行って魚や貝を取ってた。
もう無茶苦茶だね(笑)。
司会:そんな無茶苦茶なことをしなければいけなかったと。
松本先生:そう。でもそうやって取ってくる獲物を兄弟が食べてくれるのが嬉しかったの。
司会:先ほど松本清張さんと出会っていた、というお話がありましたが、他にも幼少期に出会っていた方がいらっしゃるんですか?
松本先生:出会ってたと言えば、これは人じゃないけど、米兵が置いて行った『スーパーマン』『スパイダーマン』『バッドマン』。
こういうのは私がチビの頃に原版で読んでたからね。
英語の成績が悪いのに、一生懸命調べながら読んでたんです。
司会:へえ~。
松本先生:で、日本の漫画とアメリカの漫画の表現の比較をしてたの。
司会:すごい。
松本先生:それから18歳になってから分かったんですが、1947年…昭和18年ですか、明石の映画館で「くもとちゅうりっぷ」っていうミュージカルアニメーションをやってたの。
そこにね、同じ日に同じ時間、宝塚からやってきた手塚治さんもいて、同じ画面を睨んでた、ってのが後から、手塚さんの口から分かった。
当時私は5歳、手塚少年は15歳。
日曜日だったんだけど、一週間しかそこで上映してなかったから間違いない、と。
司会:すごいですね!
松本先生:そう、それから石ノ森正太郎。
これは同年同月同日生まれでね、それが同じ漫画家を志していく。
なんかみんなね、こう、横につながっていくんだよね。
不思議です。
司会:では最後に御一人だけ、なにかご質問があれば。
(男性が挙手)
ゲスト:「男おいどん」に関することなんですが、
ちばてつや先生に、さるまたけ(パンツにはえたキノコ)
を食べさせた話は有名ですが、その時のちば先生のリアクションは?
松本先生:当時はさるまたっていうのをはいていてね。
一か月ぐらい続けてはくとごわごわになるでしょ。
でそれを選択すると手がすりむけてしまう。
でも捨てようとすると下宿のおばさんに「ゴミ以外は捨ててはいけません」って怒られる。
だから今度はそれを引き裂いてね、地下鉄の丸ノ内線の各駅のごみ箱にね、捨てて行ったの。
でもそれが面倒くさくてしょうがない。
だから今度はそれを押し入れに丸めて押し込んでたんです。
何十枚も。
そしたらそこに金色みたいな黄色いカビが生えてきて、その次に金色のキノコが生えてきた。
ヒトヨタケっていうね。
それからシイタケをちっちゃくしたみたいなやつもね。
それで植物図鑑で調べたら「食」とマークが付いている。
これは食べても大丈夫だって分かったんだけど、生えてきた場所が場所でしょ、パンツの中じゃねぇ。
それで当時ちばてつやとお互い手伝い合ってたから、売り出されたばかりの30円のインスタントラーメンを買ってきて、お湯を入れて、その木の子をちぎってね、ちばちゃんに食わしたの。
「うまいか?」って聞くと「これはうまい!」って(笑)。
あとから白状しましたけどね。
これにはまた別の後日談があって、植物学の先生に聞いたんだけど、植物図鑑に「食」と書いているのは別に食用って意味じゃなくて「食べても毒にはならない」って程度の意味なんだって(笑)。
もちろん、自分では食べてないからね。
不気味だから。
当時はみんなインキンタムシを患っててね、下宿のトイレも水道も共同でしょ。
でも恥ずかしくて言えなかったの。
ちばちゃんなんてほっぺたのところに感染しちゃったりしてね。
ところがある日、新聞で「白癬(はくせん)菌、俗にインキンタムシという」という書き方があってね。
病名なら言えるってことで薬局へ行って「白癬菌の薬をください」って堂々と大きい声で言ったの。
そしたら「おお、前もタムシか」と返されたりしてね(笑)。
ところが薬を塗ったら一週間で完全治癒。
この体験が、公然とインキンタムシを口にできる世の中になれば悩める同志諸君がいっぺんに救われる、って考えてね、何のために漫画を描くかに目覚めさせてくれたんだよ。
司会:素晴らしい!
松本先生:それで描いたのが『男おいどん』。
サルマタケが私を助けてくれたのね。
そしたら反響がすごくてね。
「悩んでたけどこれで救われた!」なんて手紙をいっぱいもらったよ。
ちなみにこの薬は私のイラストのパッケージになってるからね。
この後のサイン会は、驚くことに各部30名(計60名)のファンの方一人ひとりが、描いてほしいキャラクターを先生に直接リクエストできるというファンなら大喜びな催し。
その上、握手や記念撮影まで!
とても和やかな雰囲気で、予定の時間を大幅に上回りながらも、先生は丁寧にイラストを描いていらっしゃいました。
本当に、さすが大先生!
取材で行ったのに、先生のトークやサインを入れている様子を見て、純粋に楽しんでしまいました。
先生にはまた後日ゆっくりお話をうかがえたらいいな、と思っています。
◆銀のコーシカについてはこちら →
http://koshika.info/
◆MANGART BEAMS Tはこちら →
http://www.beams.co.jp/shop/east/daikanyama/beams-t-daikanyama.html
2009-10-27 12:14 written by 芹澤 桂
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